第2回衆議院議員総選挙

実施:1892年(明治25年)2月15日
改選数:300

1890年11月29日、第1回帝国議会が招集され、藩閥による第一次山縣内閣と、「民力休養」を掲げる民党が対立を続けた。政府が面目上、議会解説早々の衆議院解散を望まなかったこともあり、政府は閉会まで持ちこたえたが、次の第1次松方内閣(1891年11月26日閉会)で迎えた第2回議会はこの状況も変わり、12月20日の樺山資紀(かばやますけのり)海軍大臣による「蛮勇演説」をきっかけとして、松方内閣は初めての衆議院解散に踏み切った。

 

内閣:第一次松方正義内閣(第4代)
解散:1891年(明治24年)12月25日
投票:1892年(明治25年)2月15日
選挙制度:小選挙区制
選挙権:直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性
有権者数:434,594
立候補者:900

この選挙では、内務省による選挙干渉をきっかけとして各地で支持者と警察の衝突が発生し、以下の数の死傷者が出た。

・高知県:死者10名、負傷者66名
・佐賀県:死者8名、負傷者92名
・福岡県:死者3名、負傷者65名
・千葉県:死者2名、負傷者40名
・熊本県:死者2名、負傷者39名

薩摩出身の松方首相と地元県会の民党議員とが激しく対立していたという地元の事情から、死傷者は薩摩藩や肥後藩出身の知事の府県において大規模に表れた(高知・滋賀の県知事は薩摩藩出身、福岡・千葉の県知事はは肥後藩出身)。

 

投票率:91.59%

吏党
・中央交渉部:81
・独立倶楽部:31
・近畿倶楽部:12
民党
・自由党:94
・立憲改進党:38
無所属
・無所属:44

 

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